ももいろ

夢の呟き

私のなかにある「可愛い」という呪いについて。

「可愛くならなければ」
「痩せなければ」
という私の考えの強さは異常なのかもしれないけど、強さと弱さを見なければその考えは正常(可愛くなりたいという気持ちは普通のこと)のことだから、私は自分のことを「総合的に可愛くなりたい気持ちがあるだけの、女の子だ」と思う。

だから、「可愛くならなければ」という考えを排除することがこわいし、認められない。

 

私は今、心療内科に通いながら生きている。

1週間に1回ほど、薬を貰う為に、少ない時間で自分のことを話す。

「可愛い」に縛られすぎて外に出られない日があるからだ。

 

行きたいと言ったのも自分からだし、貰っているものは弱い薬とはいえ気持ちが救われる。

でも、「可愛い」の呪いを解くことが、本当は死ぬほどこわい。死んだほうがまし、死んだほうが可愛いんじゃないかと思う。

 

その思いとは裏腹に、私は現時点でその考えに苦しめられているから、その考えを手放さないといけないし、実際手放して自由になった私でやってみたいこともたくさんある。

 


「可愛い」は私の宗教で、
「可愛いを目指して今の自分から抜け出さないと社会的にも人間的にも終わりだ」と思っているから、「終わりになるくらいならいっそ、その宗教に騙され(私は可愛さに救われる身でもあるから、騙され、という言い方はしたくないけど)もがき苦しんでるほうがましだ」と毎日毎日思う。呪いみたいな感覚。

 

でも、
「可愛いという宗教に騙されもがき苦しみながら生きていくこと」
「可愛いという宗教から抜け出して生きていくこと」
この二つの本質的なところは同じ、ということに私はもう気付いてる。

私は吐けないし食べるし食べ物を飲み込めるのに、苦しんでいるから、甘えているだけなんじゃないかと思う。

 


母親からの「いい加減自分を認めてあげなよ」というLINEを最近よく思い出す。

「悩みを直接話すのが苦手だから、LINEで話したい」という私の気持ちに、数年前に折れた母親はLINEで話を聞いてくれて、返答をしてくれる。ありがとう、と思う。

でも、認めるって何だろう。

私は幸せを掴みたいだけなのに、「「いい加減」」という言葉を使われたことに、少し傷ついた。

 

 

今日も私は寝る前に、大森靖子のロックンロールパラダイスを聴いている。

 

お母さん、お母さんが愛している私、そして、私を愛している私。
今日も私は私を認めてあげられなくて、抱きしめてあげられなくて、褒めてあげられなくて、ごめんなさい。

 

私は自分を愛することを諦めていないので、また明日も、自分を愛せる日を想像しながら息をします。